休憩時間、私はスピーカーに近づいた
休憩時間に、私はあのスピーカーに近づいた。
どうしても、確認したかった。
筐体を隅から隅まで見てみると、最初に“異常”だと思ったバッフル面はウレタンパッドで覆われていた。
塗装はピアノのようなブラック。光を吸い込むというより、光を押し返してくる黒。
裏に回ると、クロスオーバー部から異常に太いケーブルが伸びている。
足元は、これまた写真機材みたいな異常なスパイク。
スピーカーの前に置いてある銘板には、こう書いてあった。
Wilson Audio
System 5.1
──名前がついた瞬間、厄介になった。
「あの音」が、偶然じゃなくなる。
あの音は、スピーカーだけでは出ない
一応、オーディオ歴は長い。
だから、あの音はスピーカーだけで出せるものじゃない、と直感した。
鳴らしている機器も確認した。
プリとメインアンプは Jeff Rowland。
プリは Synergy。
メインは MODEL 9。
なるほど。
そりゃ、ああなる。
──そう思った瞬間、私はまた一歩、深みに足を入れてしまった。
ハイエンドにはまる
家に帰り、持ち帰ったカタログを隅から隅まで何度も読み返した。
いつものシステムを聴くたびに、視聴会での体験が異次元の製品に思えてくる。
価格表を見るたびに思う。
「これは、私の住む世界じゃない」
手をつけてはいけない世界。
できるだけ考えないようにした。
……のに、無理だった。
あの音こそ、私が求めている音だ。
それが、初めて知った“ハイエンドの世界”だった。
出張のたびに、販売店を回った
それから私は、出張のたびにハイエンドオーディオを置いてある販売店を回った。
いろんな機器を聴かせてもらう。
でも、だんだん分かってきた。
私の目指す音は、スピーカーは System 5.1 じゃなきゃダメだ。
……という、危ない確信だ。
プリアンプは Jeff Rowland の Synergy にする。
メインアンプは MODEL 9 まではいらないだろう、と自分に言い訳をして、model 7 を選択した。
そして次は、お約束が始まる。
スピーカーケーブル。
インターコネクトケーブル。
システムラック。
聴いて決める。
決めたら、また聴きたくなる。
システムの発注
気がつくと、見積と注文書が一気に揃っていた。
資金は、老後の蓄え──退職金から捻出した。
やってしまった。
これで、普通のサラリーマンの退職金の半分が消えた。
いや、正確に言えば、
退職金は“音”に変わった。
退職金の向こう側へ
それからは、一度経験してしまったハイエンドのお約束通り、
セカンドシステムの購入。
機器の入れ替え。
気づけば、さらに深く。
そして退職金は、ほとんどがなくなってしまった。
次話:現実が来た(そして、手放す側へ)


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